最近80年代ブームちゅうことで、
街中では、ドルマン袖だの、
サッシュベルトだの、
ケミカルウォッシュ素材モノだの良く見かける。
キョンキョンもビールの宣伝で横っちょポニーテイルしてるくらいだからな。
(はじけすぎてて最初誰かわからんかったぞ)

確かにバリバリ80年代そのものとゆうよりも、
80’Sのエッセンスを取り入れたデザインで新鮮味はあるが…。

どうもすんなりと受け入れられんのは明らかに年代のせいだろう。

そしてリアルタイムまではいかんが当時の記憶があり過ぎる。

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ワタシはまだ小学生であったので自腹で好みの洋服を購入する経済力は無かった。
しかしマイマザはワタシを若くして産んだので、
当時はガンガン流行に乗っかっちゃってた今でゆうヤンママであった。
(注:最近までワタシは「ヤンママ」は“ヤンキーママ”の略だと思っていた。“ヤングママ”なのね。しかし前者の方が人口密度高いぞ。)

ワタシはそのことがかなり苦痛だった。

今でこそ若く着飾っているオカンが多く、「**ちゃんのお母さん若くていいね」と羨ましがられることが親子のステイタスみたいになっているが。
ニチィとかダイエーあたりで、既にトウがたってそうな女が金髪でホットパンツで厚底履いてバギー押してたり、小汚いガキを連れ回ってたりと偽ヤンママが急増してるくらいだからな。

しかしワタシが幼き頃はオカンのイメージはまだまだ、「京塚昌子(故)」が根強かったに思う。
そう割ぽう着に味噌汁だ。

だから授業参観の教室は、黒紺茶系のスーツにリボンタイのブラウス、もしくは着物を着たオカン軍団のショウノウのニオイがたちこめていた。

そこへ必ず遅れてやってくるマイマザのいでたちは。

赤く染めた髪をポニーテイル。
爪も唇も赤く染めて。
ゴールドのコットンニットはもちろんドルマン袖。
ピタピタのジーンズには当時大流行でトシちゃんも愛用のレッグウォーマー。
足元ももちろんゴールドのスパンコールがちりばめられたパンプス。

そして必ず前のドアから授業が始まってるとゆうのに入室し、バカみたいに満点の笑顔でワタシに手を大きく振るのであった。
そして『***〜〜!』と囁き声を大きくしようとしたみたいな声でワタシを呼びやがる。
もちろん大きく手を振って。
完全無視しても気付くまでそれを辞めず、挙句の果てには先生に「お母さんですよ」と教えられる羽目に。
だので恥ずかしさを最小限にとどめる為にも軽く手を上げて答えてはいた。目は怒りながらも。

まだせめてもの救いがあったとしたらヤツは授業がまだ終わる15分位前には既に消えてるとゆうところか。
一つの場所でジッとしていられない性格と、放課後のPTA会議がウザイからだ。

今でこそ「人は人、自分は自分」をモットーには生きてはいるが、
まだまだそこは狭い狭い社会の中で生きざるを得ない小学生。

当時のクラスメイトも「いいなあお母さんが若くて。うちのお母さんなんか太ってるから着物やで。
おばあちゃんみたいでイヤやわー」なんてゆっていたがワタシには慰めのようにしか聞こえなかった。

(ええやん着物。ええやん太ってて。京塚やん。それこそがオカンやん)
と心の中で羨ましがったりもしてたのだ。

出るクイになってはいけない、できる限り平均的な存在にならないといけないと真剣に思っていた。
それでなくてもウチは片親だった。

だからこそ苦痛だった。
流行モノを身に付ける母親。若くてキャピキャピした母親。味噌汁が似合わない母親。

恥ずかしかった。ものすごく。

いつの頃からか、やはり社会が広がったせいか、それはワタシのネタ話みたいなもんにはなっている。
そしてそんなマイマザだからこそワタシに広く自由が与えられているような気もして感謝している。

しかし80年代エッセンス溢れるデザインの洋服を見ると、
あの頃の「恥ずかしい気持ち」がふとワタシの心を締め付けたりして、
ちょっと顔が熱くなったりするのはいわゆるトラウマなのだろうか。

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うっ。

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